一般社団法人(非営利) 新興事業創出機構  JEBDA
  • [Home]
    • seminor20200228
    • HARIMAX
  • [JEBDAについて]
    • 団体概要
    • 主要メンバー紹介
  • [提供サービス]
    • 事業支援
    • 研修
    • ネットワーク
  • [jebda通信]
    • インタビュー
  • [お知らせ・イベント案内]
  • [お問い合わせ]
  • seminor20190214

「ただ今、社会変革中!」

11/17/2016

1 コメント

 
JEBDA代表鷹野と社会変革の最前線にいる起業家の方々との熱いトークをお届けします。
2回目は、「誰もが健康に暮らし続けることができる地域社会を創る」ことを目指す、一般社団法人りぷらす代表理事の橋本大吾さんとの対談です。
東北震災後に宮城県石巻市でりぷらすを設立。要介護者、障害者向けのデイサービスを運営するほか、健康づくり体操を地域で広める活動や、介護離職を防ぐための企業向けサービスに取り組んでおられます。
画像

~介護からの「卒業」~
​

鷹野:ふつうは介護が始まったら、その先支援はずっと必要のように思いますが、りぷらすでは介護からの「卒業」を目指しておられるのが、とてもユニークですね。
 
橋本:介護保険は、自立を支援するのが本来の目的です。その選択肢の一つとして、「卒業」があるべきだと考えています。りぷらすのデイサービスは、「リハビリ特化型」として、利用者さんお一人お一人に目標設定をしていただいて、それに向かうトレーニングをしていきます。現在石巻と登米で運営しているデイサービス「スタジオりぷらす」で約50名ほどの方ににご利用いただいています。
個々の状況に合わせたトレーニングをすることで、8割近くの方の筋力が向上し、状態がよくなっています。これまで10名ほどがデイサービスを卒業され、半年ほどの利用で畑仕事や旅行を楽しめるようになった方もいます。

​体が衰える自然の流れの中で、トレーニングによってできることが少しずつ増えると、さらに頑張ろうというモチベーションに繋がるようです。嬉々として訓練に励むお姿を見せてもらえることが我々の仕事のやり甲斐にもなりますね。
画像

~介護離職者、年間10万人~
​

鷹野:日本の最大の課題のひとつが高齢化。親の介護が働く世代にのしかかり、離職に繋がるという、連鎖が起きていますね。
 
橋本:現在日本では10人に1人が介護の当事者(介護する人・介護される人)で、年間10万人が介護のために仕事を離れる「介護離職者」になっています。脳卒中などをきっかけに介護は突然始まり、親御さんの介護のため子ども世代は、仕事と介護の両立に直面します。ある調査では、50%が介護が始まってから1年以内に離職してい流というデータがあります。このことから、介護「初動期」の対応が重要で、仕事と介護の両立に必要な情報を得ることや柔軟な働き方ができる企業の仕組みが必要です。
 
突然親が倒れて入院となり、看病に通う。退院したら今度は自宅での介護が始まり、仕事を休まざるを得なくなって気まずさから退職。そこから介護うつ、虐待、自殺などに繋がる暗い話題が多いです。介護する人が社会と分断され孤立してしまうことが原因です。大切な人材が企業から離れ、社会からも閉ざされてしまったら、その先に未来はありませんね。
そこで、企業が社員の仕事と介護の両立を後押しする体制をつくるための支援サービスとして、2016年春から仕事と介護の両立支援事業を始めました。介護の制度や仕組み、サービス内容などについて、ふつうの人はよく知りませんね。事業の一つである社員向けセミナーは、ファイナンシャルプランナーがお金についての相談や情報提供してくれるように、介護について同じような啓発活動やシミュレーションを行うイメージです。セミナー形式のほかに、電話相談や面談も行います。企業の人事部門に対しては、社員向けのアンケートで介護離職リスク診断を行ったり、仕事と介護の両立のための人事制度設計や職場環境づくりを支援します。
画像

~住民による健康増進の仕組みとは~
​

鷹野:りぷらすの事業で達成したいことはどんなことですか。
 
橋本:我々が目指しているのは、健康で暮らし続けられるコミュニティをつくることなんです。日本の高齢化率は2050年まで上昇すると言われています。今後、高齢者に充てる社会保障の財源が相対的に減ってくる中で、高齢者が介護を必要としない状況にしていくための対策(予防)が必要になると考えています。
 
これまでは自治体の専門家が健康体操などを提供してきたのですが、これからはお年寄りが増え、供給が追い付かなくなります。そこで、現役を引退した団塊の世代を中心に、地域で支えあう体制ができるのではないかと考えました。住民のための、住民による健康づくりの体制ですね。つまり、地域の元気なシニアの皆さんに「おたがい体づくりサポーター(おたからサポーター)」になってもらい、彼らに仮設住宅や集会所で体操教室を開いてもらって、地域全体の健康増進を図るというものです。
 
リタイア後も元気なシニアは、地域にボランティアする意識が高く、自分の健康のためにもサポーター役を買って出てくれる人が多くいます。また震災後やることがなくなった、何をしていいかわからくなったという人には、新しい生きがいを見つけてもらうきっかけにもなっていると思います。
16時間の講座を受ければ、3級のおたからサポーターに認定されます。サポーターが仮設住宅や集会所で開催する体操教室に、現在は毎月のべ150名が参加していますが、毎年それを倍増していく計画です。これをほかの地域でもあてはめられるような仕組みを作り、一緒にやってくれるパートナーを探して、いろいろな地域で展開していくのが夢です。
画像

~危機感に突き動かされ、行動を起こす~
​

鷹野:橋本さんをさまざまなチャレンジに向かわせる原動力は何ですか。
 
橋本:最初スポーツトレーナーになろうと学校に入り、その後病院に就職し、リハビリテーションに関わる仕事に出会い、理学療法士の資格を取りました。病気や障害に向き合う人々の、マイナスの状態を少しでもプラスに持っていき、どう生きるかを支えるこの仕事を自分の天職だと感じました。
 
東日本大震災では、茨城県鹿嶋市の実家が被災して屋根が壊れたり、親戚の家も津波を受けるなど、当事者体験があったのですが、ボランティアで行った閖上の惨状を目の当たりにした時、圧倒的な無力感に襲われました。自分には何もできない、という思い。それでもできることから、とにかくやるしかない。ボランティアで東北に来たときは、まさかここで起業するとは思っていませんでした。
 
震災後、石巻では急激にコミュニティの姿が変わりました。介護の必要な人が増え、もともと介護を受けていた人が悪化しました。これから日本に起こる課題が、ぐっと圧縮してやってきたような現象です。社会課題を10年先に進めたといわれる東北から、バックキャストして今やるべきことを考える。そんな思いで取り組んでいます。
社会を変えることは容易ではないけれど、危機感に突き動かされた人々が地域を変えていくのだと思います。何しろ自分が行動を起こすことだと思うし、そんな自分をみて、チャレンジしようと思う人が出てきたら嬉しいです。地域の人々がサポーターになっていく、という変化が起こっているように、それぞれの技術、知識、時間、お金などを共有しあって支えあえる社会が作れたらいいと思います。
画像

インタビュー後記

まだ30代半ばの橋本さん。なかなかの苦労人で、だからこそにじみ出る優しさや謙虚さが印象的です。「自分が行動を起こす」ことの大切さは私も常々実感していることで、自分が動くことで回りも一緒に動いてくれるし、自分が動くと動いている人の姿も見えてきます。東北を見ていると、本当に社会課題が10年早く顕在化していると感じます。そこから今後日本各地で起こることをバックキャストすれば今取るべき行動が見えてきますね。うーん、同感! 橋本さん、今回はありがとうございました!!
画像
1 コメント

第1回「ただ今、社会変革中!」

4/10/2016

1 コメント

 
JEBDA代表鷹野と社会変革の最前線にいる起業家の方々との熱いトークをお届けします。

初回は、農業生産法人GRA取締役兼教育事業リーダー、NPO法人GRA理事の福島雅史さんの登場です。福島さんはNTTでキャリアを積んだ後、ビジネススクールのグロービスで人材育成に取り組み、現在は先進的な農業で知られるGRAで、ミガキイチゴを生産する新規就農者の開発、指導に当たっています。

画像
画像

~技術者が人材育成のプロに~

画像
鷹野:福島さんとはこれまで何度もお会いしていて、なぜかとても気が合って「福ちゃん」と呼ばせてもらっています。まずは社会人としてどんな思いをもってスタートされたか教えてください。

福島:1985年に当時民営化直後のNTTに入社しました。情報通信業界が大きく変革する時で、業界をリードする社会への影響力が大きな企業で自分の力を試してみたかったんです。工学部出身で技術系エンジニアとして入社しましたが、最初はすごい下積みで、電話局の地下室で配線をしたり工事現場の対応など地道な仕事ばかりでした。でも大きな組織なので、2,3年ごとに異動するのは殆ど転職のような感じで、30歳のころに若手社員の教育部門の担当になりました。毎年1万人の新卒社員を迎える研修や、入社4~5年目の若手社員のキャリア開発研修なども行うようになって人材育成にやりがいを感じるようになりました。

鷹野:20年近くNTTには勤められたそうですが、その後の転機はどのように訪れたのですか?

福島:実業団のウインドサーフィンのクラブを立ち上げ猛烈にはまってました。時には「カゼで会社を休む(良い風でウインドサーフィンをするため)」こともありました(笑)。良い風良い波を求めて御前崎でのウインドサーフィン中に、かなり荒れた天候の中で波に巻かれ、ボードから離れてしまったんです。沖まで流されながら、あぁこれで終わりか、という思いが頭をよぎりました。幸い九死に一生を得て、それからは、一度死んだはずの人生、本当にやりたいことをやろうと考えるようになりました。その中で、自分にとってのキーワードが教育でした。
40歳のころグロービスと出会いました。社会に善をもたらす事業をリードする社長の堀義人さんの理念に心打たれ、実際にグロービスの教育に触れてその素晴らしさにほれ込んで、直談判で入社しました。44歳での転職でした。人材育成を本職にすることができ、目標に邁進する清々しさを感じました。やる気に満ちた受講生に囲まれ、ビジネスカンファレンスの企画、法人向けの人材開発コンサルティングもやりました。また自分でも経営を学びなおしたく、働きながらグロービスのMBAにチャレンジしました。

鷹野:そして東日本大震災が起こり、さらに転機がおとずれるのですね。

福島:はい。MBAの卒業最終発表が2日後という時に震災が起こり、発表を終えて初めて東北の惨状に驚愕して、仲間と一緒に東京から福島へ物資を送る活動を始めました。2011年5月にGRAの代表の岩佐の活動を知り、是非自分も一緒に活動したいという思いが募り、2011年6月にボランティアとして山元町に訪問した時が山元町との初めての出会いでした。同年秋にグロービス仙台校立ち上げプロジェクトに自ら名乗り出て参画して、生活拠点も東北に移しました。東北初のビジネススクールとして2012年4月から単科コースを開講、その受講生がGRAのミガキイチゴムスー(スパークリングワイン)の開発に携わっていました。自分もNPO法人GRAの教育事業の立ち上げに関わり、その後2014年4月にGRAに正式に移籍、翌年4月にGRAアグリプラットフォームの取締役に就任しました。
​

~舞台は農業、夢は地域再生~

鷹野:ようやくGRAにたどり着きました(笑)。壊滅的な被害を受けた山元町での、ゼロからのスタートでしたね。

福島:2011年の法人立ち上げ時から関わっていますが、農業には必須の井戸を、5本目の試掘で掘り当てた時は本当にうれしかったですね。山元町はもともとイチゴの産地でしたが、震災で95%のイチゴハウスが倒壊してしまい人口流出も止まりません。GRAでは10年で100社10,000人の雇用を生み出すことを目標にしています。雇用の創出は地域産業に求められる最重要ポイントですね。働く場があれば人口が増え、コミュニティが形成されて、さらに人材を呼び込むことができてコミュニティ全体の質も上がり連帯も強まります。それがGRAがめざしている、仕事づくり、まちづくり、ひとづくりですね。

~ブランド化と、匠の技をITで形式知化~

画像
鷹野: GRAはこれまでの農業とは全く違うアプローチをしていますね。

福島:ブランド化とIT技術によるサイエンス農業で、地域産業のモデルとなるビジネスを確立して、山元町だけでなく、日本各地に展開したいと考えています。ミガキイチゴというブランドで販売していて、その最高級ランクは東京の伊勢丹では一粒1000円、いえ今年は1,200円の値段で売られています。ミガキイチゴ100%のムスーは今日本で一番売れているフルーツスパークリングワインです。ブランディング開発は、広告代理店出身のグロービスの仲間がプロボノで支えてくれました。宝石のようなイチゴをかたどったロゴや、美しいパッケージは商品価値を高める重要な要素ですね。
またミガキイチゴは独自の販路開拓をして、デパート、高級スーパー、Eコマース、直販など、ブランド力を活かして高価格で販売できるルートを確立しています。海外にも販路を広げていて、現在ミガキイチゴを香港向けに月1.2トン輸出しています。それでも香港市場での3%に過ぎず、主流は韓国・アメリカ産のイチゴです。彼らは国単位でブランド化しているんですね。我々も「ジャパンベリー」のミガキイチゴなどとして、日本全体で海外プロモーションをしていけたらいいと思います。

​

~農業をビジネススクール風に再構築~

鷹野:イチゴは好きな果物ナンバーワンだと思いますが、栽培は難しいのではないですか?そもそも儲かるんですか(笑)?

福島:もともとイチゴはほかの農産物と比べて単価は高いのですが、収穫やパック詰めの手間がかかるので大規模経営がこれまで行われてきませんでした。そのため農家のバイイングパワーが乏しく生産者の収益が圧縮されていました。ブランド力のあるミガキイチゴとして出荷できる生産量が増えれば、生産者の収益率をもっと上げることができると考えています。
イチゴ栽培は実はけっこう難しくて、成長ステージにあわせた細かい管理が必要です。GRAでは栽培を細密にデータ管理できるコンピューターシステムを構築しています。その上で人の目で見た調整は必要ですが、これまで勘と経験でやってきたことのかなりの部分をコンピューターで自動管理できるようになっています。イチゴの生産サイクルは20か月。普通なら習得に10年かかる栽培技術をITで形式知化することで、就農の初期から高い品質のミガキイチゴを生産できるリーダーを育成しているのです。1年間の研修をしてもらい、2年目から栽培開始、随時サポートを提供し、3年目から生産されたミガキイチゴをGRAが買い取るシステムです。
おかげ様でミガキイチゴへの需要が高まって、供給が追いつかない状況です。フランチャイズでミガキイチゴの生産者の輪を拡げ、10,000人の雇用を達成したいですね。

鷹野:就農を考えている人には魅力的なプログラムですね。

福島:GRAの農業モデルでは、2,000平米を最小単位として、年間11トンの収穫、1,650万円の売り上げを標準としています。これは平均的なイチゴの2倍の売り上げにあたります。生産管理や防虫などの観点からイチゴはすべてハウス施設内でラックで栽培します。このハウスにかかる初期投資が2,000平米の規模で4,000万円かかり、これが新規就農には課題となりますが、8年で原価償却できるので9年目からの利益は大幅にアップします。15年間の投資収益比率でみると9%ほどで、かなり堅実といえます。また普通の起業とは違って、新規就農には国の補助金制度や、自治体の住宅補助や子育て支援などの後押しもあります。

~地方でワクワクする仕事~

鷹野:福島さんのこれからの夢は何ですか?

福島:私は岡山県の人口12,000人の地方都市出身で、地元には働く場がなかったから東京で就職しました。地方でワクワクする仕事がしたいし、真の意味で豊かな生活がしたいですね。持続可能な地域づくりのケースとなるような事例を山元町で作りたいです。

人口10,000人超の山元町に、GRAの見学のため年間4,000人の人々が訪れています。そのうちの数%でもミガキイチゴ生産の仲間になってくれたら、素晴らしいネットワークが広がると思います。
インタビュー後記:
福島さんは、穏やかなお人柄の中に、とても強い信念を持っている人だなぁといつも感じています。さすが技術系出身とあってテクノロジーや農業技術に詳しく、さらにそれをビジネスとして語って営業できるという、ベンチャーには欠かせない才能の持ち主。新規就農を目指す若者には、じっくりと耳を傾けて相談にのってくれる、頼れる兄貴みたいな存在なんですね。福島さんのもとで育った次世代のミガキイチゴ農家たちが、全国に広がって、地域が活性していくことに私もワクワクしています。
福ちゃん、インタビューご登場、ありがとうございました!

鷹野 秀征
画像
1 コメント

    カテゴリ

    すべて

HOME

JEBDAについて

団体概要
主要メンバー紹介

提供サービス

事業支援
研修
ネットワーク

JEBDA通信

インタビュー
活動実績

お知らせ・イベント案内

お問い合わせ


  • [Home]
    • seminor20200228
    • HARIMAX
  • [JEBDAについて]
    • 団体概要
    • 主要メンバー紹介
  • [提供サービス]
    • 事業支援
    • 研修
    • ネットワーク
  • [jebda通信]
    • インタビュー
  • [お知らせ・イベント案内]
  • [お問い合わせ]
  • seminor20190214